「総論賛成、各論反対」は、必要です。

   by Tsuyoshi Mizushima        
「総論賛成、各論反対」は、必要です。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。今、私達が生きるこの世界で実際起きています。戦争が起きているのです。テレビ、ネットなど、どこをみても写真や活字で次から次へと飛び込んでくるウクライナ関連の残虐なニュース。なぜか、正直全くリアル感がない。やはり完全に平和ボケです。どこか他人事。想像力すら欠如気味になっていることを痛感しています。戦争は、命という尊いものを奪い合う行為。戦争という手段を使ってまで守りたいものは、本当にヒト(自分を含む)の命よりも尊いものなのだろうか?そんなことが頭の中でグルングルンしています。もちろんロシア国内の大多数の方も戦争なんて望んでもいなかったことでしょう。とにかく一日も早く平穏な日常が取り戻せるよう祈るばかりです。
本日はこんなテーマ。
「総論賛成、各論反対」
みなさんも幾度となくあらゆるシーンにおいて、葛藤し続けて来たテーマではないでしょうか?総論(方針レベル)では確かに賛成だった(そのはず)。しかし、各論(具体策レベル)になると、反対意見が顔をだす。 ”理想と現実” という言葉にも置き換えられるのではないかと思います。まさに、戦争が起きた経緯においても、「総論賛成、各論反対」が存在しているのだろうと生意気ながら思うのです。だって圧倒的多数の総論(方針レベル)では、当然平和、安心、安全です。そしておそらく、各論(具体策レベルで)部分において「各々の都合」が優位に立ったのでしょう。
もう少しわかりやすい事例をあげてみたいと思います。
総論:コロナ感染爆発を抑えよう(ハイッ、賛成)
各論:営業停止は死活問題になる…
総論:オフィスはきれいに使おう(ハイッ、賛成)
各論:掃除に時間を割くと営業成績に支障が…
総論:会社の利益をあげよう(ハイッ、賛成)
各論:営業目標を上げられると困る…
などなど。

もちろんこれはどちらが正しいかを議論したいわけではありません。「みんなで決めたじゃん…」「今更言われても…」「それとこれとは話が別で」、当然どっちも言い分あってのこと。そもそも敵じゃない。ただし、この問題を解決しなければ、総論(理想の状態)には、いつまで経ってもたどりつかないのも事実。こうしたらうまくいくよ。なんて、テクニック論を書くつもりもありません。何をやったところで、形を変えて現れるのが、「総論賛成、各論反対」。

「総論賛成、各論反対」は、自分の意志(願い)を再確認させてくれる機会であり、より強固なものに育ててくれる。とにかく、始めること。貫くこと。排除ではなく吸収すること。ではないかと、私は思っています。

特に社会貢献に対する取り組みにおいて「総論賛成、各論反対」はとても生まれやすい現象です。なんとなくわかりますよね。「貢献よりも、利益」。しかし、それは今までの価値観。ご存じの通り社会への貢献は、ステークホルダーにとって、とても重要な企業への評価基準となっています。企業が、社会と良好な関係を継続するためにも、よりインパクトの高い貢献が必要です。

我々の従事する、地球環境問題。
総論:ストップ!地球温暖化。
各論:GHG削減には限界があります…
で、どうする!?
そこで、想起される手段「Kabbaraカーボン・オフセットプラン」が、私共の目指すポジションです。
最後まで、お読みいただき有難うございました。
追伸1
総論:メタボは嫌です(ハイッ、賛成)
各論:ローソンのスイーツ禁止(絶対、反対)
スイーツはやめず(吸収)、オフセットします!
水島
追伸2
もちろん、戦争には断固反対。

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